千葉地方裁判所 昭和43年(ワ)525号 判決 1970年10月23日
原告
板倉ミヤ子
ほか三名
被告
鹿野昭
主文
被告は原告板倉ミヤ子に対し金五四万三四二五円、原告板倉勝美、原告板倉朱美、原告板倉隆次に対し各金三五万八九五三円と右金員に対する昭和四三年一一月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実
(請求の趣旨)
「被告は原告板倉ミヤ子に対し金二〇〇万円、原告板倉勝美、原告板倉朱美、原告板倉隆次に対し各金一六六万六六〇〇円と右各金員に対する昭和四三年一一月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決と仮執行宣言を求める。
(請求の趣旨に対する答弁)
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求める。
(請求の原因)
1 原告ミヤ子は亡板倉博の妻であり、原告勝美、同朱美、同隆次は亡博の子である。
2 昭和四三年六月五日午後一一時三五分ころ市原市草刈六六番地四先通称茂原街道において同市潤井戸方面から古市場方面へ向かつて走行していた被告運転の普通乗用自動車(登録番号千五ぬ四七三三、以下甲車という)とこれに対向してきた亡博運転の原動機付自転車(登録番号市原市四五五四、以下乙車という)が正面衝突し、亡博は頭蓋骨折脳挫創、第一腰椎脱臼、全身前面擦過傷によりその場で即死した。
3 被告は甲車を所有し、甲車を自己のために運行の用に供していた。
4 また、被告は酒気を帯びて甲車を運転し、時速六〇キロメートル以上で道路右側を走行しながら事故現場付近にさしかかつたが、運転者として前方を注視し、通行区分を守つて安全を確認したうえ走行すべきは勿論、対向車があるときはその動向を注視し、徐行をしたり警音器を吹鳴したりして的確な避譲措置を講ずべき義務があつたのに、その義務を怠り、同じ速度でそのまま走行したため甲車の右前照灯付近を左側通行してきた乙車の前部に衝突させた。したがつて、被告には事故の発生について過失があつた。
5 被告は次の損害を賠償する義務がある。
(一) 亡博は事故当時訴外有限会社昭栄工業の監査役として一か月六万一二六〇円の給与を得ていたが、同人の生活費は一か月一万一二六〇円であつたから、その純益は一か月五万円であつた。同人は事故当事三七才であり、同人の就労可能年数は二六年であつたから、同人の失つた得べかりし利益はホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して事故時の現価を算出すると九八二万七四〇〇円となる。したがつて、同人の失つた得べかりし利益は六〇〇万円を下らない。原告らは自動車損害賠償責任保険から三〇〇万円の給付を受けたので、これを右の損害賠償請求権に充当し、残額三〇〇万円について原告ミヤ子は三分の一の一〇〇万円を、原告勝美、同朱美、同隆次はそれぞれ九分の二の各六六万六六〇〇円を原告に対し訴求する。
(二) 亡博は原告ら妻子をいつくしんできた。原告らは経済的精神的な支柱であつた亡博を失い、筆舌に尽せない精神的苦痛を受けた。
これを慰藉する額は原告ら四名について各一〇〇万円が相当である。
6 よつて、被告に対し原告ミヤ子は二〇〇万円、原告勝美、同朱美、同隆次は各一六六万六六〇〇円と右各金員に対する訴状送達の日の翌日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(請求の原因に対する答弁)
1ないし3の事実は認める。4の事実は否認する。5の(一)の事実のうち原告らが保険金三〇〇万円の給付を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。(二)の主張は争う。
(被告の主張)
1 亡博は乙車を運転し、市原市古市場方面から潤井戸方面へ向かい道路右側を石側通行しながら事故現場付近にさしかかつた。被告は約一〇〇メートル前方の地点に対向してくる乙車を発見したので、軽くブレーキをかけ、前照灯を切り替えて甲車の進行を乙車に気付かせようとしたが、亡博はそのまま右側通行を続け、甲車と乙車は三〇ないし四〇メートルに接近した。被告はそのとき道路左側を走行していたが、道路の左側が水田であつたので、乙車との衝突の危険を避けようとしてハンドルを右に切つたところ、亡博もハンドルを左に切つて同方向に進んだため甲車と乙車が正面衝突した。事故は亡博の右側通行と前方注視義務違反による一方的過失によつてひき起こされたものであつて、被告に過失はなかつた。また、右のような事情に照らし被告は信頼の原則によつて免責されるべきである。
2 甲車には構造上の欠陥がなく、運行上の機能障害もなかつた。
3 仮に被告に賠償責任があるとしても、亡博には右1のような過失があつたから、賠償額を算定するについてこれを考慮すべきである。
(被告の主張に対する原告らの答弁)
1の事実は否認する。3の主張は争う。
(証拠)〔略〕
理由
一、(亡博と原告らの身分関係)請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二、(事故の発生)請求原因2の事実は当事者間に争いがない。
三、(被告の責任原因)請求原因3の事実は当事者間に争いがなく、後記のように被告主張の免責事由は認められないから、被告には自賠法三条による賠償責任がある。
四、(亡博の過失と過失割合)〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、事故現場は南東から北西へ通ずる県道千葉茂原線の幅員七・六メートルのアスフアルト舗装道路上で、その付近は歩中道の区別がなく、道路の両側に幅〇・三メートルの無蓋コンクリート側溝が設置され、その南西側には水田がある。見通しはよく、路面は乾燥していた。被告は甲車を運転して市原市潤井戸方面(南東)から古市場方面(北西)へ向かい時速六〇キロメートルを超える速度で道路左側を走行しながら事故現場付近にさしかかつたが、道路左側(被告の進路)を右側通行しながら、対向してきた亡博運転の乙車を前方約一〇〇メートルの地点に認めた。衝突地点から五〇ないし六〇メートル北西の道路の南西側(被告からみて左側)に訴外貝塚光彦方があるが、乙車が右側通行してきたことから被告は乙車が訴外貝塚方に立ち寄るものと考え、前照灯を二、三回切り替えたりしたものの道路左側をそのまま走行した。乙車は訴外貝塚方の前を通り過ぎ、そのまま右側通行を続けて甲車の前方約三九メートルの地点まで接近したので、被告は乙車との衝突の危険を感じ、とつさにハンドルを右に切つて乙車との衝突を避けようとした。すると同じころ乙車もハンドルを左に切つて甲車との衝突を避けようとしたので、甲車と乙車はほぼ道路の中央部に向かつて互に接近し、甲車が約二〇・五メートル、乙車が約一八・五メートル進んだ地点で、甲車の右前照灯付近と乙車の前輪が正面衝突した。衝突地点は道路の南西端(被告からみて左端)から四・四メートル、北東端(被告からみて右端)から三・二メートル距つた地点であつたが、甲車はそのまま右斜め前方に滑走し、衝突地点から二〇・五メートルのスリップ痕をつけ、さらに一五メートル進んで停車した。被告は事故の日午後九時三〇分ころ清酒約一合を飲み、翌六月六日午前二時四〇分ころ呼気一リットルについて〇・二五ミリグラムのアルコールを身体に保有していた。以上の事実によると亡博は乙車を運転し、道路右側を走行して事故現場付近にさしかかつたのであり、被告と同じように約一〇〇メートル距つた地点で甲車が対向してくるのを認めることができたものと推認できるので、もつと早い時点で進路を道路左側に直し、甲車の左側通行を妨げないようにすべきであつたのに、この義務を尽さず、前方約三九メートルの地点まで接近してはじめて進路を変えようとしたため、被告の進路変更の措置と相まつて事故を発生させたといえるから、亡博には事故の発生について過失があつたと認めることができる。また、右の事実によると被告は酒気を帯びて注意が散漫になり、六〇キロメートルを少なからず超えた速度で甲車を運転していたものと推認でき、乙車が甲車の正面を対向してきたのを約一〇〇メートル前方に認めたのであるから、乙車の動向を注視し、警音器を吹鳴して乙車に注意を喚起するか、みずから減速して乙車の動向に対応できる態勢を整えるなどして衝突事故を避け得るような措置を講ずべきであつたのに、この義務を尽さず、同じ速度で走行を続けたため、前方約三九メートルの地点まで接近してはじめて進路を変更しようとしたが間に合わず、事故を発生させたということができ、さらに被告が高速で乙車に接近したため亡博に乙車の運転をとまどわせたのではないかと推認できないわけでもないので、被告にも事故の発生について過失があつたと認めることができる。そして、双方の過失割合は亡博において七割、被告において三割とみるのが相当である。
五、(被告の負担すべき賠償額)
(一) 〔証拠略〕によると亡博は事故当時溶接業を営む訴外有限会社昭栄工業に勤めていて一か月六万円の給与を得ていたことを認めることができ、同本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると亡博は生活費として一か月あたり月収の二割にあたる一万二〇〇〇円を要したと推認することができる。〔証拠略〕によると亡博は事故当時三七才であつたことを認めることができるので、同人の就労可能年数は二六年と推計することができる。そうすると、同人の失つた得べかりし利益はホフマン式(複式)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して事故時における現価を算出すると九四三万四二四六円となる(五七万六〇〇〇円カケル一六・三七八九)が、同人の過失を考慮し、その七割を減額した二八三万〇二七四円を被告に負担させるのが相当である。したがつて、原告らが相続によつて取得した賠償請求権は原告ミヤ子において九四万三四二五円、原告勝美、同朱美同隆次において各六二万八九五三円である。
(二) 記録によると原告ミヤ子は昭和九年一二月生まれ、原告勝美は昭和三八年八月生まれ、原告朱美は昭和四〇年一〇月生まれ、原告隆次は昭和四二年一月生まれであることを認めることができ、〔証拠略〕によると原告らは亡博と同居し、円満に暮していたことを認めることができる。原告らが亡博の事故死によつて受けた精神的苦痛を慰藉する額は、事故の態様、亡博の過失、家庭の事情その他の事情を考慮すると、原告ミヤ子において六〇万円、原告勝美、同朱美、同隆次において各四〇万円とするのが相当である。
六、(損害の填補)原告らが自賠責任保険から三〇〇万円の給付を受けたことは当事者間に争いがない。これを原告らの損害額に応じて配分し(一〇〇万円を原告ミヤ子に、二〇〇万円をその余の原告らに)、その損害の填補にあてると、損害金の残額は原告ミヤ子において五四万三四二五円、原告勝美、同朱美、同隆次において各三五万八九五三円となる。
七、よつて、原告らの請求は原告ミヤ子において五四万三四二五円、原告勝美、同朱美、同隆次において各三五万八九五三円と右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年一一月二三日(これは記録上明らかである)から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤一隆)